本質を学ぶより具体から本質を掴め

世の中には自己啓発セミナーみたいな成功法則系の話とか、

〜〜の本質とか、抽象的な概念を売ってビジネスをしている人達がいます。

 

私もそういう本質的な事に思考を張り巡らせるのが好きなので、

10代の頃から長いこと身体論についてもビジネスについても本質的な事を学んできました。

そのため知識としては結構な量があるのですが、

これはどうも具体に結びつかないなと感じている今日この頃です。

 

なぜかというと、

本質的な事を学ぶのに10時間かけたとして

それを具体的技術と結びつけるのに10時間かかるとします。

 

そうすると合計で20時間かかるわけですが、

それなら具体的技術だけを20時間やった方が取り組む時間も長いし、

1つの事に集中できるのでより高いレベルまで行けたりするのです。

 

本質を学んで具体に繋げようとすると、

2つの種目を試行錯誤しながら繋げていかないといかないので、

思ったより効率が悪いのです。

 

そして本質的なことというのは、

結局具体ができてないと本質も成り立たない存在なので、

いくら本質を学んでもそこのジレンマを超えられません。

 

だから、何かモノにしたいジャンルがあるならば、

本質から学ぶより具体を学んでいく中で本質に至った方が全然レベルが高くなります。

 

本質を学ぶべき時というのは、

具体に取り組むだけでは超えられない壁にぶち当たった時とか、

1つのジャンルに取り組みながらも他分野に活かせる視点を磨きたい時とか、

具体をやり尽くしてこれ以上どうレベルアップすればいいのかわからなくなった時とか、

具体的技術の練習で上達の仕方が遅くなってきた時とか、

そんな時だけでいいんじゃないかと思います。

 

特に具体的なジャンルの初学者の時というのは、

徹底的にそのジャンルに親しんで慣れることが最速の上達法ですので、

本質がどうとか考えてると逆に上達は遅くなります。

 

本質を学ぶのが好きな人は一度自分を見つめ直してみるといいんじゃないでしょうか。

 

薄っぺらいコピーより中身のある記事

私は元々営業をやっていて、

社内でトップ5に常にいるくらいのセールスの腕があったのですが、

いまだに何かを売るのが好きかというとそうでもない部分があります。

 

なぜかと言うと、何かを売る時の法則というのは決まっているからです。

不足感や枯渇感をあおり、何かを提供することで解決する未来を見せ、

欲しいと思った瞬間に目の前に置き、

すぐ無くなってしまうように思わせれば売れるのです。

これが信頼する人間からの情報提供であればバカ売れするという訳です。

 

何か役に立つ情報がある時、

この流れを踏むと断然売れやすくなるのですが、

私はそれがめんどくさく感じてしまいます。

 

それよりも、あおってあおって薄めて薄めて

残りカスみたいな情報を提供するくらいなら、

なんのセールスもないのに毎度役に立ったり面白い記事を書けた方がいいなと思っています。

 

これが、私があんまり大それたセールスをせず、

売上にこだわらずブログを書いている理由ですね。

本業で儲かっているから、というのもあるのですが。

 

 

ただ、これは私のようなお金を介在させるコミュニケーションに熟達している人間は問題ないのですが、一般の人はそう上手く情報を受け取れません。

 

なにかというと、普通の人はお金を払わないとそれが価値のある物として受け取れないのです。

本来は100万円の価値があるビジネス情報だとしても、

100万円支払わなければ100万円のものとして真剣に受け止めて実行できません。

これが一般人です。

 

一方でお金のコミュニケーションを超えた人は、

支払う金額に関わらず自分の中で価値を測る絶対的な物差しがあって、

それに従って行動しています。

だから無料の情報でも、100万円分の価値を生み出せるのです。

 

そんな背景があるので私が無料で情報を流しても、

ほとんどの人は価値を受け取れないとは思いますが、

私は書きたくて書いてるだけなのでどこかの誰かが恩恵を受ければそれで良いのです。

 

アイデアは1人の時に生まれる

私はよくアイデアが生まれては消えて、

とりとめもなく流れていく感じの人間なのですが、

振り返るとアイデアというのは1人の時によく生まれます。

 

もしかすると人と話す時に生まれる新しい発想を、

イデアとしてキャッチする能力が低いのかもしれませんが、

私の発想自体は他の人ではなかなかできないクオリティを持っていることを確信しています。

 

そんなアイデアがどういう風に生まれるかというと、

1人で静かにしてたり運動したりしていると生まれることが多いです。

 

一方で、アイデアが生まれない環境というものがあって、

それがモロにあてはまるのが女性と話している時です。

 

なぜかというと、

女性は常になにかを話していないと気が済まず、

TVを見たり音楽を聞いたり話したり、

雑音を流し続けているタイプの女性が多いからです。

 

何かについてひたすら考えて考えて追求することが苦手で、

適当な答えを他人と交換しあって満足する性質を持っているからです。

 

これは男性脳と女性脳の作りも関係していますが、

男性脳は特にこれ、と決めたことに対して、

集中している時の方が能力を発揮するのです。

 

一方女性脳は、何かに集中するよりも

満遍なく身の回りの状況を把握するのに長けた脳の働き方をします。

 

だから、仕事のことみたいな男性脳をフル活動させる領域のことについては、

むしろ女性がいると妨げになることはよくあります。

 

一方男性脳的な集中の仕方だけですと、

今度は周りが見えなくなりやすいので支障が出たりしますので、

そんな時は女性と関わることでバランスを取り戻すことができます。

 

 

男の人生を考えたときに、

何かに振り切って集中し切るというのは非常に重要で、

これができないとただの家庭的ないい人の人生を送りがちです。

 

そして女性は結婚した男を潜在的に家から離さないようにしたがるので、

そのために男の能力を削ぐ行為を無意識にします。

 

 

振り返るとドキッとする男性も多いと思いますが、

これが真実なのです。

 

自分の人生を貫きたいと思っている男性は、

よくよく考えて1人になる時間をもっともっと大事にした方がいいですね。

移動時間は極端に減らした方がいい

世の中の多くの人は移動時間に1時間前後を平気で費やしていたりします。

 

この移動時間が非常に曲者で、

1日に使える時間のうち2時間弱というのは非常に多いです。

 

なぜかというと、前回の記事でも書いていますが、

1日の自由時間というのは結局4,5時間程度に落ち着くからです。

 

1日4時間の自由時間が5~6時間になれば、

1.5倍近く時間が使える状態で、

有限な時間の世界でこんなことはほとんどありません。

 

だからなるべく都心近くに住んで移動時間を減らした方がいいのです。

 

 

多くの人は、移動時間をなんとか有効活用しようとしています。

本を読んだりセミナーを聞いたり仮眠をとっていて、

それはそれでいいのですが根本的に移動時間がなくなれば、

浮いた時間を何に使っても自由ですし、仮眠もベッドで寝た方が効率が良いのです。

 

 

そういうわけで、よっぽど都会に飽きたとかでない限り、

仕事とプライベートの充実には都心近くに住むことが有効だなと思う今日この頃です。

やりたいことやって生きるのは副業じゃ無理

最近思うのですが、時間というのは本当に有限です。

 

私は独立してるので仕事の時間は抑えられますが、

・仕事で4時間

・勉強で2時間

・運動で1時間

と、これでもう7時間かかります。

 

睡眠時間が8時間とすると

すでに15時間かかっているので9時間しか残りません。

 

さらに家庭を持っていると

・家で団欒をする時間

がなんだかんだ21〜24時の3時間

 

家から作業場や遊び場までの移動時間が

なんだかんだ1〜2時間かかったりします。

 

その他、行動と行動の切り替え時間とか、

人生の目標を叶えるための目標設定や振り返りの時間を考えると

遊べる時間というのは1日4〜5時間しか残っていないのです。

 

こうして考えると、

事業を構築したところでそれにもメンテナンスはいるし、

将来のビジョンがないと独立自体が長続きしません。

 

だからやりたい事があるなら即専業で取組み、

やらないならスッパリ辞めて新しい仕事に振り切った方がいいのです。

 

私も今まで体裁を気にしてナンパとかアングラな仕事を避けて、

IT事業という実業でずっとやってきましたが、

やりたいことをガンガンやっておけば良かったと思います。

書きたいことを書かないと頭が悪くなる

人間というのは言いたい事を我慢したり、

書きたい事を書けないと頭がどんどん悪くなっていきます。

 

昔本で読んだのですが、

命令をさんざん聴き続け、人殺しすら手伝わされるような状況になっていた人の脳を解剖するとスポンジみたいにスカスカのボロボロだったようです。

 

この例は極端かもしれませんが、

それくらい自分の状況を我慢し続けることというのは脳を劣化させます。

 

私もここ数年、事情あって色々なことを我慢し続けてきましたが

結果的には非常に老け込んで、なんの経験も知恵も人生の楽しみも得ることはできませんでした。

 

何かを我慢するというのは、

よほど法を犯す可能性のある性質の人でない限りそんなに得策ではありません。

 

私のこのブログも、

自分の主張を閉じ込めていくと頭がどんどん悪くなって、

ついには思考ができなくなり自分の存在価値すらなくなりそうな気すらしたので書き始めることにしました。

だから誰に何をいわれようと自分が飽きるまでは辞める気がありません。

ブログは遺言みたいなもの

最近はTwitter,Instagram,YouTubeとかSNSが流行っているので、

私もそっちをやった方がいいのかなとか思った時期もありました。

 

でもなぜ今さらブログを始めたのかと言うと、

結局これが一番見る人が楽だからです。

 

まずTwitterだと投稿が時事ネタ個人ネタすぎて1つ1つ見るのは面倒です。

そして動画や音声になると見るのに時間がかかるので、

これまた見る人は面倒なのです。

そんなものを見る人は、よっぽど興味ある人がのぞきに来ればいいのです。

 

確かにマーケティング的に見るとSNSの方が爆発力はあるでしょう。

しかしどちらかというと自分は後世に残す遺言みたいなつもりでブログを書いています。

 

もう30半ばに差し掛かり、若く見られにくくなってくると、

今までもっとこうすればよかったとか、

これからの年齢をこうするべきみたいなことが根拠を持って言えるようになってきます。

 

だから私が死んだ時に子供が自分のブログを見て、

考え方を吸収してより良い人生を送る糧にでもしてくれれば十分だと思ってます。

 

そう考えるとブログは思想を伝えるのに非常に良い媒体だと思います。